三十四年ぶりの放送の仕事 ある意味再開?



 この七月からコミュニティ放送ながらFMラジオの番組に関わる事になった。キャスティングと構成、ついでに営業の部分を担当する。

 最後に放送の仕事に関わったのは記憶を遡ると実に三十四年前。ノートを紐解いてみると1989年に当時のTX(テレビ東京)の旅番組〝いい旅 夢気分〟
が最後だった。


 本当はやるつもりが無い番組だったが、当時付き合っていた制作会社からのオファーで受けたはず。なぜやるつもりが無かったのか?というと、その年、ANB(テレビ朝日)の特番でDをやったので、正直「もういいかな?」と言う感じだった。

 このいい旅夢気分の担当回。メインのリポーターが往年の名俳優、TVドラマ 七人の刑事の初代メンバー〝天田俊明〟さんだったが、アシスタントの女性タレント(名前は失念)の間合いが悪く、現場から空気が悪く、編集でも相当苦労して削った。

 その前の特番が美空ひばりさんの特集で、次がこの作品というのも何か〝うんざり〟するものがあり、当時、カネよりも作品重視していた自分はこれ以上やっても同じだな、と考え、放送関係から手を引いた。

 当時25歳。翌年には経営していた音楽制作スタジオも手放してしまったので、いま考えると少々急ぎ過ぎていた感はある。

 今の時代なら「マルチ」と言う言葉で括れたが、当時は今より専門色が求められ、何かアルバイトをしているみたいで恥ずかしかった。これも若気の至り。

 ラジオの話しが入ったのが五月の半ば?最初は出演を求められたが、それは自分の趣旨に合わないので返事は曖昧にしていた。ただその時、プロデュースを頼まれていた案件があり、その本人はジャーナリスト希望だったが、とてもじゃないがその力量は無く、その扱いに困っていた。

 プロデュースとはある意味簡単で、人をどうにでも作れる。才能ある人を潰す事も出来るし、逆に才能の無い人を飾る事もできる。今回の場合はむしろ後者で、当人の希望と違う方向へ振る事にした。
そこで自分に来ていたラジオを割り振った訳だが、そこはなかなか大変だった。
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 ジャーナリストと言っても、そのジャーナリストの世界でもご本人が希望する相手からは悉く断られる状態だった。著名なジャーナリスト・政界の重鎮・作家さんと、本人が希望する紹介を打診するも、ひと通りNGを喰らい続けていて前途多難な状態に陥っていた。そこで方向性を思い切り振り切り、ジャーナリストと言う括りから離す方向で調整に取り掛かっていた。

 結局、このプロデュースは6月半ばに解消となり、その結果、番組は再アレンジする事になった。

 そこでジャンルを大幅に見直して、歌手・スポーツ選手と幅をグッと拡げた。あと1名、まだ決まっていないが取り敢えずリザーブの人も出来てなんとかまとまる。予算は膨らんでしまうが、逆に言うと充実した内容で纏まった。

 一流ユニットの歌手、スーパーGTのトップドライバー、avexと集英社のコラボ企画のアニメの歌手とまぁ良いところが揃った。もう間も無く7-9月期のゲストと、番組のプログラムが発表されるのでお楽しみに。

 これをキッカケに自身の夢だった構成作家を、人生の後半戦に於いて充分に楽しみたいと思っている。