読み・書き・そろばん 大事です

コロナに感染してしまい、多くの方からのご心配を頂き、本当に申し訳ありませんでした。
またご心配を戴いた事、本当にありがとうございます。

感染経路が思い当たらず、また現在のマカオの状況が本当に酷く、流石に怖くて外出を躊躇う状況です。治ってから十日ほどで再感染が出ている事例が多数報告されている事からも、全く予断を許さない状況です。もう勘弁して…と言うのが正直なところですが、とにかく自己防衛するしかありません。

さて今日は最近の岸田総理や大阪の状況から見る私の所感を纏めてみます。

私はかつて欧州の某国が持っているオイルメーカーをスポンサーにしていた時期がありました。仮にA社とするとA Projectと言うプロジェクトブランドを立ち上げて活動していたのです。
そしてとあるチームとジョイントし、その年のタイトルをあっさり奪取しました。全八戦中、七戦に出場。
優勝5回、2位1回、5位1回と言う圧勝でした。
シリーズ第六戦でタイトルを確定したので、遠い開催地の第七戦を欠席。最終戦には出て消化レースをすると言う位の余裕でした。
テクニカルを担当するチーム側、ドライバーのレベルと力量そしてブランディングの全てが高次元でバランスした結果だと思っております。



しかしこのプロジェクトには、私が周囲に言っていない事がありました。
このA Project自体、私の計画の完成形からするとこの年はタダのフレームワークでしか無いのです。しかしその枠組みの段階で全てが上手く行きすぎて、周囲には完成形のプロジェクトと映っていた様です。
このプロジェクトの本当の完成形は私のノートの中にだけあり、静かに次のステップが用意されていたのです。そしてそれに気が付く人は当然ながら皆無でした。

ちょうど当時、A社が世界的な規模で敢行された業界再編成の煽りを受け、B社と合併。A・B社となりました。そこへアフリカ大陸で不幸な工場火災を発生させ、一つの都市に壊滅的なダメージを与えてしまったC社が加わり、このA・B社はわずか数年の間でA・B・C社と社名を変えました。
株の論理は資本の論理。
最終的にはB社が存続会社となり、Aはブランド消滅、Cはブランド名としてのみ残すと言う判断が下されました。

しかし困ったのはブランドA。
欧州二カ国とシンガポール(アジアのヘッドクォーター)、日本に於いてはまだそこそこのマーケットバリューが残っていました。そこへきて私のA Projectの成功です。これは本国のヘッドクオーターからすると捨てるには惜しい想定外の出来事でした。

そこで出た最後の結論として、欧州二カ国とシンガポールに日本を加えた四カ国ではAを当面のあいだは残す。しかしいずれBまたはCへとブランド移行させる、と言う判断が下されました。
またシンガポールから「A Projectの写真が欲しい」と連絡。聞くと「企業広告に使いたい」と言う事で、私のA Projectは順風満帆なスタートを切ったのです。

成功は同時にシロアリも引き寄せます。

元々Aの輸入代理店をやっていたD社はA・B・Cの合併にケチを付けて「認めない」と言い出す始末です。その後、色々と問題行動が目立った為、A・B・C社はD社を切る事を決断しました。そして私がD社に代わる販社を探す事になったのです。

世界ブランドですから候補はすぐに見つかりました。
  • 条件はAの販売代理店になる事。
  • 私のA Projectに年間1,000万円をスポンサーする事。
  • 私のコーディネイト費として700万円。
ある意味、簡単な条件でした。

ところがこの手を上げたW社、権利の二重売買を企んでおり、その後も数々の問題を引き起こします。最終的には「A・B・C社は失礼だ!」とか「うちを尊敬しろ!」等と捨て台詞を吐く様になるのですが、その途中は泥沼の様であり、また私とは長い期間、民事訴訟をやる羽目になりました。

その途中です。
今回の岸田総理の息子さんの事の様に、ありとあらゆるデマを流され、私の存在が問題だと会社で糾弾会議までやり始めるのです。
この事態に気が付いたA・B・C社は私がいるからこそ始まったプロジェクトであり、W社と契約したのも私がいると言う担保があるからである、と明言してくれました。

そこでこのA Projectの中で人間関係も含め、全体を再構築するにはあまりにも労力が掛かりすぎると判断した私は次のステップ、つまりA Projectの完成形へと舵を切りました。

つまりAブランドを中心としたA Projectはあくまでもフレームワークであり、最初の一歩である、と。この完成形を作りあげた方が話しが早いと、本来の一丁目一番地に話しを戻す事を決意します。

フレームであるから、それは言うまでもなく骨組みです。傘に例えるなら、骨組みに布を貼って傘として完成させなければなりません。その為に大きなスポンサーが必要でした。

初年度がA Projectで大成功を収めた年。
二年目は揉めた年。
ここで実は伊藤忠さんと話しを進めていて、三年目は伊藤忠が輸入代理をしていたタバコブランド〝John Player Special〟との契約を進めておりました。


しかしあるタイミングでJohn Player Specialが大きく方針転換。このブランドを所有するB.A.T.社はモータースポーツでプロモーションするブランドはLucky Strikeのみにすると言う通達を出して来ました。

B.A.T.社は文字通りBritish American Tobacco社。常に米国側(Lucky Strike)と英国側(JPS)の綱引きが働いている会社で、結果、この当時、BAR HONDAでF1をやっている米国側の意向が全てを優先させる流れになっておりました。

しかしそこは天下の伊藤忠。
一つクライアントを失ってもいくつもでブランドを持っている。そこで彼らはアパレルメーカーのビッグブランドのPを持ってきてくれました。

結果、A Project はP & A Projectとなり、当初から私の構想していた計画は完成形を見る事になります。またこの際だからとA・B・C社はいずれ消えゆくAの名前を捨てて、思い切ってCへとブランド変更をする様に指示してきました。



W社は私が契約を纏めたと言うのを隠し、「世界的なメーカーがW社を見つけて依頼してきた」等と恥ずかしげも無く言って歩いています。その為に私の存在は邪魔で仕方が無かったんでしょう。
とにかく会う人、会う人がA・B・C社とW社の契約の経緯を聞いてきます。
「俺が繋いだんだよ。で、あいつら俺にカネを半分しか払っていない段階で俺を外しに掛かったんで裁判やってるんだよ。」と全部バラして歩きました。
その話しを聞いた関係者は全員同じ言葉をひと言。
「やっぱ…」

二年目、裁判だけを残し、あっさりと自分の産んだA Projectから引いた瞬間、界隈で歓声が上がるのが分かりました。まだ裁判中であるにも関わらず、歯が浮くどころか歯が抜けるレベルの欺瞞に満ち溢れた美辞麗句を贈られ、悲しくなったのを今でも覚えております。但しこれは自分の立場に哀しいのでは無く「P & A (C) Projectが発表された時、お前らどうすんだ…?」と。その時に怒りと失望と、ヤキモチに狂う姿は容易に想像できました。その姿を想像するに憐れであり、悲しいと言う感情が芽生えたのです。

年が明けて三年目の二月。
秘密裏にテスト走行を終えて広告用の撮影を済ます。
しかもこの年から人生初の海外進出。
そうP & C Projectのメインターゲットは最初からアジアでした。

この記事が雑誌や新聞に載ると朝から携帯が振動しっぱなし。
docomoの携帯電話は見事にTENGA化しました。

そのうちに面白い話が聞こえてきます。
「W社があなたにP & C Projectをやらせていると言っている。」
と言う戯言だった。

当時はまだメールとFAXの併用だったはずで、すぐに関係各社へウチとW社は現在係争中であり、今年から始まるP & C ProjectにはW社は一切関係が無い事を記るしリリースを流した。

さて、どうしてこんなたわいも無いむかし話しをしたのか?
これには理由があります。


コロナで倒れている時にこんな話しが来た。
「年明けにIRが承認されるらしいよ」
私は反論した。
「それは無いだろ?問題は土壌問題だよ?そんなパッと解決する問題じゃあないでしょ?」
「いや、通常では無理さ。けどそこに特別な力が働いたらしいよ。」

 

自分はそれでも信じない。
信じないどころか、逆に疑いを深めた。

なぜか?

「年明けにIR認可」と同時におかしなニュースが出ていたからだ。
曰く、岸田総理の息子の情報漏洩問題だ。
     

すぐにピンと来た。
「これは揺さぶりだな。もう一つ意にそぐわない話しが出る時、もし同じ話しが出たとしたら、IRは無いな。岸田子息の話は揺さぶりのブラフと断定して良いだろう。」
と考えた。

案の定、昨日、岸田総理が中国に対する水際対策を発表すると、岸田息子記事が再燃。
非常に分かり易い。
こう言う時、取材力や記者としての運動神経の良いところはカウンターの記事を書いてくるはずだ、と思っていたらデイリー新潮が書いた。
さスガだ。


この例えで出したむかし話し。
つまりは多くの人はW社の話しを信じ、理由無く私を恨んだ人が沢山出た。しかし蓋を開けたら私のプロジェクトは更に大きくなり、その事に彼らは嫉妬し、無用な悪感情を燃やす。中には私に襟首締め上げられて謝罪に追い込まれた者もいた。
後にW社を去り今でも私と良い関係にある元役員は言った。
「あのメディアでP & C Projectを発表した時あったじゃん?あの時、N(W の社長)凄かったぜ!」
「ん?なにが?」
「なんであいつにこんなビッグスポンサーが付いたんだ!しかもA・B・C社も協力してるじゃねーか!って発狂したよ笑」

あるレースで放送で呼び出され、コントロールタワーに向かって歩いていると「応援しています!」と声をかけられた。誰かと思ったら一番デマを流していたやつだった。こっちは何も言っていないのににこやかに「僕は信じていました」と言われた。
私はにっこりと微笑んで「俺の運が落ちるから5m以内に近づかないで貰いたい」と返した。このガマガエルみたいなデブは引き攣った笑顔のまま固まっていた。

カジノ(IR)の件、実際にはこんなところだろう。


26日になりこんな具体的な話しが出てくる。


いまTwitterのTLを眺めてて一番心配になるのは日本人の情報収集能力の低さだ。行間を読まず、記事の文字を鵜呑みにしている。なぜその記事が出たか?誰が書いたか? 背景に何があるのか?をまるで考えないでワーワー反応する。

読み・書き・算盤とはよく言ったもので、この三つの要素はそれぞれ独立していない。互いが強く作用している。行間を読まずして、全体を押し測るなんて出来る訳が無い。人は常に考えている事の1/5も喋らないものだ、と言う考えを持っていないとならない。それでないと10の異なる記事を読んで、それぞれの相反する答えに判断がつかない人間になってしまう。
書いてある文字が、相手の考えの全てであると言う事を早く捨てないと結局、振り回されて正しいロードマップの邪魔にしかならない。それこそ本当に日本の弱体化に繋がる。自ら愚民になっていく人の考えが理解できない今日この頃である。

一人でも多くの人が、正しい読み書きができる事を願ってやまない。