太田昭宏さん 政界引退


 お世話になりました。また色々とご迷惑をおかけしました。学会員であるとか無いとか関係無く、一人の人間として関わって頂き、本当に感謝しております。私の先輩であるS氏と学生時代から親交のあったと言う太田昭宏さん。


 ある時、私と先輩が大きく仲違いをした事があり、当時、都議選で落選中であった太田さんが間に入って仲裁して頂いたのは一生忘れません。あれは私が悪かった。

 またS氏の筑摩の友の園田治夫さん。僕らの兄貴みたいな、父親みたいな人でした。その園田さんが人生どん底を彷徨い、S氏とも関係が悪化する中、秘書問題で頭を抱えていた太田さん。
最後まで〝人が輝く事に尽力を惜しまない〟S氏が『園田さんを秘書に!』と。あれには驚きました。そして本当に秘書になっちゃって二度驚いた。

 園田さんは『俺、議員たって元市議会議員だよ?言えば草野球よ?それがいきなりメジャー(国会議員秘書)だぜ?』と言ってました。
 それでも、なんて言うんでしょうね、太田さんと園田さんは絶妙なコンビ、これ以上無い、ピッチャーとキャッチャーでした。

 ある時、稲城の蕎麦組合だったかな?との懇談会へ行くのに、中央道で橋を渡るか、下道で行くかを悩んでいた園田さん。私は何も考えずに「中央道で行けば早いじゃん?」と言ったら『バカやろー、750円掛かるだろ?』と。
「え?国会議員の事務所って100円単位までシビアに見るんだ」、と驚いたのを今でも鮮明に覚えています。

 そこからはいつもの園田さんの〝指導〟ですよ(笑)二時間はやられたな。けど〝ザル〟だった自分はそう言うところから学び、今に至るビジネスの基礎を学びました。
 その様に〝妙に近しき故〟に陳情やお願い事は絶対に太田さんにはしない様に気をつけていました。S氏に他の議員を紹介してもらいそちらへ。

 この数年、創価学会側の公明党パッシングに悩んでいたのも聞いていました。また太田さんと園田さんが揉めて秘書を辞めた時、本当に心配しました。S氏も本当に困っていました。

 そして私は移住。久々に帰った時、S氏に会い、真っ先に聞いたのは太田さんとS氏の事でした。あのぶっきらぼうな言い方で『あぁ、大丈夫だよ。太田ファミリーとして戻ったよ』
この時は素直に嬉しかった。

 喜んでいたら園田さんが突然現れ『お前が生きてるか、見にきたんだよ!蕎麦でも食いに行くか!』と。それが園田さんとの最後でした。こちらにいる時に園田さんの訃報を聞き「あぁ、一つの時代が終わったな」と。
そして今回の太田さんの政界引退。

本当にお疲れ様でした。

 今でもあの、太田さんが浪人中に食べに連れてってくれた中華の味は忘れません。そして園田さんのあの真っ直ぐな豪速球の様な行動。
何よりも太田さんの国政選挙に出馬したあの町田での第一声。
『無間地獄の町田の皆さん、こんにちは〜!』
やっぱりあなたは四条金吾ですよ。
私もS氏から言われ〝四条金吾〟の様な生き方を学んでいます。

正義は正義。
悪は悪。

 今日も情けない男がこのblogを消そうとしました。そんな事したら、結局、法廷で情けないツラを晒す事になるのにね。

幸い、私は創価学会では無いので〝慈悲〟はございません。情け容赦なく、これからもやって参ります。

太田さんと園田さんの様に、是々非々にこだわる生き方を伝承して貫いて参ります。