志位和夫さんの質問に答えてみる

 Twitterで日本共産党の志位和夫氏がこんな事を言いやがってましたので、敢えて答えてみましょう。時間の無駄ですが。

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「共産主義はどうも」という方に2つの質問をしたいと思います。 1、資本主義という矛盾に満ちた社会が人類の到達した最後の社会か? 2、マルクスは21世紀では古くなってしまったか? 人類社会は資本主義で終わりでなく、その先に進むことができる。その法則を明らかにしたのがマルクスなのです。
 
 歴史的事実からお話ししたいと思います。共産主義はその理想に於いては素晴らしい思想です。但しこれは現実的には構築し得ない、形にならない妄想の産物であり、事実として共産主義で成功した国は歴史上、ただの一つもありません。
 皆、勘違いしていますが、あの中国でさえ最近では〝共産〟の文字は党名以外は使わなくなっていて『特色のある社会主義』と言う言葉を頻繁に用いています。

 では資本主義が正しいのか?と言う設問になると、これは〝共産主義よりはかなりマシ〟と言う事になるかと思います。ここで志位さんの言う『矛盾に満ちた』とはどの部分を指しているのでしょうか?全然理解できません。 
 勝った者がより多くの利を得る。それが矛盾に満ちているのでしょうか?人の倍働いても共産の名の下、平等な賃金しか貰えないのなら、誰も努力はしません。過去の共産主義国の失敗を見ていなかったのでしょうか?
 そう言う意味で〝弱肉強食〟であり『言いたい事を言える』社会は特に何かの矛盾に満ちているとはちょっと思えないのです。自分の中ではね。

 過去の歴史に於いて共産主義はそこにいる人民・国民に利を与えることはありませんでした。それを司る国や政党、または一部の家族にその制度が利用され、権利・権力が一極に集中すると言う誤魔化せない事実があります。
 例えば日本共産党。〝清い政党〟を演出する為かどうか知りませんが、政党助成金を頑なに受け取りません。日本の制度の中で決められているのですから受け取れば良いのです。そして共産=平等を掲げたいのであれば、それを社会に還元する原資にすれば良いのです。それすらしないと言うところに、何か他の問題があるのではないか?と思います。
 こう言う決められた資金を自ら貰らわない事でクリーンさをアピールしている政党って、大体裏にとんでもない利権があるからできるんです。維新なんかもそうですね。バカな民衆を騙す一番簡単なやり方なんです。ですからみんな賢くなりましょう。

 そう言う流れからも志位氏の言う『矛盾に満ちた資本主義』は、ご自身を長年支えている資本主義に対する恨みつらみのネタか、ご自身の党の是を支える〝仮想敵のお題目〟でしか無いでしょう。卑怯ですね。相手はあなた達に戦いを臨んでいないのに。

 但し流石にこの世は恐竜のいたジュラ紀ではありません。弱肉強食で弱い者がドンドン食われてしまうのでは社会そのものが成り立ちません。そこで弱者を支える為の努力や制度は、今までも多くの労力を割いてされてきていますし、これからもするでしょう。
 手厚いセーフティーネットはこれからもますます重要になるでしょうし、それを悪用した場合の厳しい罰則もより強化しないとなりません。全てはバランスだと思うのです。

 そう言う意味で中国は、自由経済でありかつ社会主義と言う、良いとこ取りをしています。これは右か?左か?の論議に終止符を打つある種の傑作で、双方のいいとこ取りをした結果、そこそこの成功をした…様に見えました。
 が、今、中国は自らの今までの歩みのツケに苦しんでいます。つまり自由経済は社会主義、事実上の共産体制の中ではマトモに機能しない事を自らが証明しました。そして内部に溜まった問題のマグマの量の多さは、世界の経済を吹っ飛ばすに充分な熱量となっております。

 そう考えるとやはり自由主義、資本経済主義の方が些か何とかなっていると言えますし、資本主義を捨てて共産主義を取る理由など一切ないのが現状です。何より志位さんご自身が資本主義の中で存分にご活躍されて活動できている事自体、自由主義・資本主義が〝捨てなきゃならないモノ〟に無い事を証明する何よりの証拠になっているのではないでしょうか?

 但し資本主義・共産主義と言うのはあくまでも制度の問題です。人が生きていく根本的な主義に据えるには、片方はあまりにも未完成であるし、片方はさらに不完全過ぎます。

 そこで人が生きて行く為に、根本的に据えなければならない〝根本主義〟とは何か?を考えるべきではないでしょうか?
 それを私は〝人道主義〟でありその根本は〝人間主義〟である、と考えます。今、その根本にある〝人権〟は橋下徹などの政商の商売の道具に成り下がっております。人権を盾にする人ほど、人権を軽んじているのが現状です。
 橋下徹は〝人権〟を盾に『戸籍を無くす』等とほざいておりますが、これこそ人権を無くす為の最も簡単な手段です。民衆に錯誤を与え誤った方向に導く、人として一番汚いやり方です。
 橋下徹は自身の戸籍で辛い思いをしたのでしょう。そこは同情に値します。だからと言って日本国全国民の戸籍を無くせと言うには、過去に国を破綻させた狂人の指導者の論理です。
 辛い思いをしたのなら、そこをまさに人道主義で大きく包んでいく社会を構築すべきなのですが、維新を見ていてもそうなのですが人権や同和を使い、通らない話しを無理に通す手段に使われております。その際たるものが維新とは離れますが、熱海の土石流の事件となって現れたのだと思っております。

 さて話しを制度に戻します。資本主義・自由経済・自由主義のもとでは、どれだけ厚いセーフティーネットを敷けるか?がポイントになると思います。今の状況では〝制度を守る為の制度〟になっていて、それが引き金になって必要と思われる方々に充分に制度の効果や恩恵が行き渡らない、と言う逆の事例も多く発生し、中には凄惨な事件になってしまう事もあるのが実情です。そこで人道主義・人間主義の観点に立ち、弱者も安心して暮らせる社会を構築する。その橋渡しをする水先案内人こそが〝政治〟であり〝政治家〟の出る場面だと考えます。

 この政治と政治家の立ち位置。行政が行政を行う根本理由。その辺りが〝人間〟を見つめる目線では無く〝行政のルールに当てはめるだけの作業〟になってしまっている感が拭えません。その盲点や弱点を突いて共産党が『だからダメなんだ!』と騒いでいる材料を、あえて与えてしまっているに過ぎないのです。ですので結論として志位氏の言っている事はいつの時代も〝取るに足らない戯言〟扱いにしかならないのです。

マルクス? ありゃ、精神病だろ?

以上



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