乞食が増えたんだよ


非常に共感できるツィートを見た。


結局ね、
依頼人に是々非々を問える人格のある弁護士が少なくなった。
 依頼人がキチガイだろうがなんだろうが、ササッと片付けて報酬を掠め取る様な乞食弁護士が増えたって事ですよ。

 これは弁護士に限らずなんだけど、メインの仕事で収入を得られないと食っていけないと言う自身の経済的構成を組んでいる人が多すぎる訳。かといって副業だ、ノマドだ、不労所得だ、ビジネスだってあれは社会的ホームレスだから論外。

 そうじゃなくて士業やる人は特にそうなんだけど、それで食わないと食っていけない人はどうしても最後は自分の懐事情に沿って構成しちゃうからダメなの。

 先日、運動具屋のオヤジに『なんでそんな理路整然と、かつ自分と距離を置いた様な判断ができるの?』と言われた。相手は山手線内駅から徒歩1分の自社ビルで50年以上続けている大経営者ですよ?言われた方がビックリしましたよ。

ただ答えは
『自分の懐事情を考慮しない理想を語ってますからねぇ』と答えておいた。これが事実だから。

 言ったもん勝ち、やったもん勝ちじゃあどうしようもない世の中になってしまう。そうじゃなく是々非々を解きながら歩く。

 僕の持論だけど釈尊は『わたしゃ宗教を説いてますよ』とは一度も言っていない(はず)。ただただ延々と世の是々非々を説いたに過ぎない。それが後世になって宗教として確立し、今では“人生の指針と哲学”として今尚、不動の哲理として多くの人の心の闇に光を当て続けている。

 つまりこのツイートにある様に少し、ほんの少しだけ先を見越す能力があればこう言う答えが導き出せるのに、それが慢心・その場限りの発想・貧困な経済状況と更に悪いのは貧困な脳みそによってこう言う結果しか導き出せない、つまり“誰も幸せになれない結果”しか導き出せないのである。

こう言うのを自分は“精神的乞食”と呼んでいる。