お金持ちのひと

 今週、シンガポールからの来客と先週末の流れたミーティングが重なり、またそれが思いがけない方向へと進みてんやわんやの騒ぎになった。



 昨夜、マカオのホテルオーナーと会議を終えて慌ただしく帰路についた。送迎用のクルマに皆で乗り、先にオーナーたちはお住いのところで降り、我々は家まで送り届けてもらった。オーナーは降り掛けに『明日○時ね!』と言い残し帰っていった。

 いまやサンドイッチマンに成り果てた人物Oが、昔、俺の悪口をツラツラと書き連ねていた(今でも粘着している様だが…)。

 その中に『○○(別の人物)は金持ちの人じゃないと思うんだよ。なぜならそんな金持ちは働かない。家で悠々としている』と書いていて「はぁ…このひと、本当に世の中の事、知らないんだな…」と呆れた記憶があり、あまりにも衝撃で今でも忘れられない。

 この人のイメージは金持ちは黙っていてもカネが転がり込んでくる。そう言うイメージが出来上がっているようだ。それは底辺層であればあるほど“不労所得”に憧れる傾向があるからだ。
 カネあるやつは誰よりも忙しい。そして誰よりも仕事をしている。
いつも人に会い、いつも次のアイデアを生み出し、現在起こっている問題のソリューションを考えている。
 リスボアのアンジェラさんなんかも、5分以上そこにいないんじゃないか?と言う様な電光石火の動きを見せる。
 リスボアの運営会社S.J.M.の要職であり、物販・飲食のフューチャーブライトリングを展開し、更に議員であり母である。

 マカオGPの時、グリッド上で走り回り、ひたすらメディアの要望に答えていた。SJMのスタッフが追いつかなくなり、俺が伴走して場を切り抜けた。そして立ち止まればたちまちぶら下がりの会見場になる。この時はそのスピードと展開にSJMのスタッフがノビてしまい後で皆で大笑いになった。

 働かなくてもカネが入る。不労所得。そのキーワードに憧れている限り、今の状態を抜け出せないと考えた方が良い。

 “時はカネなり”は一般的に“時間とお金は同じくらい価値がある”として使われるが、“時はカネを産む”と言う意味でもある。また“時はカネを失う”とも考えられる。

つまり“時の使い方は自分次第”なのである。

デアゴスティーニ