学生たちとの語らい


 数日前、学生たちと話す機会があったので、思うところを全部ぶつけておいた。 彼らが次の世代の人材としてキチンと育つよう、世の中の裏と表をハッキリと伝えた。 
 裏がある社会であっても、それも事実として受け止め、それを決して斜めに見るのではなく、それをどう変革させていくか?を懇々と話した。

なぜそうしたのか?と、言うと、それには理由がある。 

 一昔、今でもそうかもしれないが、"不良" と呼ばれる人種がいる。 それは成長の一過程として『そう言う時期もある』と言う見方をされ、事実、看過されてきた。 そして彼らは一定の期間を経て大人へと成長していく。

 しかし最近、非常に目立つのは"不良"では無く"不良品"或いは"欠陥品"の人間が増えてきている事だ。彼らは自分の本能赴くまま自分の全てを肯定しながら突き進む。 ボタンの掛け違いどころじゃない地点からスタートしているから結果は絶対についてこない。 
 その場合も、勝手な自己評価に終始する。 自分では色々な自慢話をするが、社会的ルーザーだ。 一般的に言う負け組と言うのと本質的に異なる。

ある人物の自己評価。

A.プロモーションが成功した。
B.人から『あれは良かった』と褒められた。
C.しかし現実はカネにならない仕事に終始していた。
D.結果、儲からないから商売を辞めた。

まったくもって首尾が一貫していない。

 通常【A】のプロモーションの成功 と言う評価は、例えば物販等の数字に直接的にそれが跳ね返ってきて、売り上げの向上やシェアの拡大に繋がり、その結果としてプロモーション成功の可否が評価される。

 "売り上げや利益の確保" と "プロモーションの評価" は 完全、比例しているのが普通なのだ。ところがある人物はそれが完全に乖離したストーリーになってしまっている。


 基本的な教育レベルの低さ、意識の無さ、自己評価を正しく出来ない等の複合的な要素が絡み合って、この様な状態に終始するのである。

 若い学生時代にマカオへ留学できた。 それも自分でお金を払って来るのではなく、学術交流の一環としてきているとなると、もともとの意気込みも相当なものであろう。 が、しかし、現実とのギャップにみな苦しんでいる。 これで良いのか? このままで結果を出せるのか? そう言う悩みを悶々と抱えながら、学問に向かう。 青春の一ページとしては当たり前の光景かもしれないが、我々の学生時代の社会情勢と、今とでは天の地ほどの差があるのが"今"と言う時代だ。 

 そうなると目的をもっと絞って留学生活を送るほうが良いのではないか?と、提案した。 
そしてもっとも重要な部分として、何かの縁があってマカオにきた。
で、あるならば、歴史と地理を学びなさい、とアドバイスした。

 その土地がどう言う歴史で構成されて、どう言う人が活動して、そして"今"があるのか?を学んでいきなさい、と。 東インド会社跡地があり、近くの中国でフランシスコ・ザビエルが亡くなった歴史ある土地。

 せっかくここに来たんだから、いったいそこに何があったのか? それを学び、ひとつの歴史を通して考え方を学ぶのは悪くない選択だと考えている。
彼らが旅立つ社会は我々が社会へのスタートラインに経った時とは比べ物にならないくらい難しい成り立ちをしている。
この中華圏でさえ成長過程が終わりつつある状況にある訳だ。
その中で成功するのは並大抵の事ではできない。

 かろうじて自分がマカオで会社を作り、短期間(僅か1年半)でナントかなったのは、土地を徹底的に調べ、そこにいる人たちのマインドを知り、何が大切で何が不要か?をそれこそ家内に休む事なく質問した。

「ねぇ、これってどうなの?」
「この人はどう言う人?」

もう家内から『頼む、休ませてくれ』まで言われた事も一度や二度ではない。

 家内の父のグループはマカオの基礎を作ったメンバーであり、今のShun Tak Grにその全てを譲渡し事業から身を引いた。それ故に家内から聞く話はマカオの裏話しみたいのばかりだった。

 香港⇔マカオを結ぶターボジェットの古い船、今は"プレミアム"と呼ばれている船が家内の亡父と母のロマンスのキッカケだったなんて聞いた時は本当にビックリした。それもマカオの近代歴史の一部。

 そう言う話しもしながら、多くの人が少しずつ、少しずつ様々な部分に関わりながら今のマカオが出来てきた話しを自分も覚え、学生たちにもした。
 昨日・今日、来て誰かと知り合ってナントかなったなんて話しは聞いた事が無い。まれにあったとしても続かない。

 その土地を知り、そこに住み、そこから歴史や風習を学びながら未来を構築していく。それこそビジネスの基本中の基本であり、そこを欠かして何かが出来るなんて思わないほうが良い、等々、話しをした。
 自分は自分でトラブルを抱えているが、もう間も無く解決する。
望まないトラブルだったが、本人の為にも最善の方法になると確信している。

ともあれ、この間まで、自分たちが教わる立場だったのにいつの間にか教える立場になっている。時間の流れは早く、それこそあっと言う間に時は移ろってしまう。仕事をやって回収していない金が数百万円(BMWが軽く買える位)残っているが、これもナントかしないとならない。

広州の自動車業界はパニックが起こっているし、そう言う意味では問題山積。

 しかしそれらを逆にチャンスに変えて進むしかないし、学生に百万遍の講釈を垂れるより、一回のサクセスストーリーを見せるのが一番の後輩指導になるか? なんて考えても見た初夏の一日だった。